どうも、当ブログ管理人のおっちょ(@occho_fxtrader)です。
ダウ理論第一原則には「平均はすべての事象を織り込む」とあり、これはその時の相場の価格は既にあらゆるものがすべて反映されているものだと見ていいというものです。
これに倣って、ファンダメンタルを無視しテクニカルだけで勝負するトレーダーもいますが、昨今の世界情勢を見るとそういうわけにもいきません。
米中貿易摩擦やブレグジット、北朝鮮問題など、世界の各地で様々な問題が起こっています。
我々FXトレーダーは、こうした世界情勢を最低限にでも把握しておくことが必要です。
中でもとりわけ意識しておきたいのが、地政学的リスクのひとつでもある「中東情勢」です。
なんか最近よく聞くかも
この中東情勢ですが、FXトレードをしていく上では必ず押さえておきたい事柄のひとつです。
というわけで今回の記事では、中東情勢についてその背景や経緯をできるだけ簡単にわかりやすくまとめていますので、よく知らないという方はぜひ最後まで見ていただけたらと思います。
中東情勢について
中東ってどこ?
まず中東の位置を確認しましょう。
赤色の線で囲ったエリアが中東と言われる地域です。
国名でいうと、アラブ首長国連邦、イエメン、イスラエル、イラク、イラン、エジプト、オマーン、カタール、クウェート、サウジアラビア、シリア、トルコ、バーレーン、パレスチナ、ヨルダン、レバノンの16カ国です。
紛争やデモがよく起こっている国が集まってる。。。
オスマン・トルコ帝国による統治
この中東地域ですが、もともとこの地域は「オスマン・トルコ帝国」というとても大きな帝国によって統治されていました。
当時アラビア半島はほとんど砂漠で過疎地域だったため、揉め事が起こったりすることはありませんでしたが、勢力を徐々に拡大し始めた1450年頃から様々な問題がのちに起こってきます。
一方その頃ヨーロッパでは「大航海時代」が訪れていました。
大航海時代が訪れたのは、オスマン・トルコ帝国による中東地域の制圧のせいで、その向こう側の国と陸路を使った貿易ができなくなってしまったからというのが理由のひとつでもあるみたいです。
「陸がダメなら海」というわけですか!
そして航海によって世界の形がわかってくると、その新しい世界を支配しようとそれぞれの国の間で争いが起こるようになります。
各地で植民地支配が起こってくるわけです
オスマン・トルコ帝国もその「領土の取り合い合戦」に巻き込まれるのですが、最新の武器を持ったヨーロッパの国々に押され気味になり、だんだんアラビア半島の方へ攻め入られてしまいます。
そしてフランスの英雄「ナポレオン」の遠征によってエジプトが制圧されると、オスマン・トルコ帝国は北アフリカの覇権を無くし、1900年頃にはとうとうアラビア半島のみを支配する国になってしまいました。
「領土」と「石油」を巡る争い
しかしそんなピンチな状況の中、中東地域で大きな発見がありました。
それが「石油」です。
ちょうどこの頃はガソリンを使ったエンジンや、灯油を使ったストーブ、街灯などが登場し、石油が求められていた時代でした
そんなタイミングで中東が 「油田の宝庫」 である事がわかったならば、当然各国は一斉にこの地域の利権を求め始めます。
1914 年、小国同士の争いに大国が介入し、ヨーロッパを中心に起こった 「第一次世界大戦」 で、オスマン・トルコ帝国 はドイツ側として参戦しますが、ドイツは敗れてしまいます。
「石油を持っている国が戦争に負けた」っていうことは、戦勝国だったイギリスやフランスには大チャンスな話だ!
すかさずイギリスとフランスは極秘に協定を結び、中東の多くの土地を分割して支配し、これらの領土を植民地化します。
この時、イギリスやフランスは自分達の都合の良いようにテキトーに領土分けを行ったり、「この地域はアラブの国にします」という約束を破ったりしたため、これが後に中東の国々が、それぞれ領土の権利を主張して戦い合う元になってしまうことになります。
イスラエルを建国
その後、中東はイギリスやフランスに支配されながらも一応は安定を保っていましたが、1939年から1945年に起こった「第二次世界大戦」で大きく変わり始めます。
第二次世界大戦中、ドイツの総統「ヒトラー」は自民族の優越性を主張し、嫌っていたユダヤ人の大量虐殺「ホロコースト」を始めます。
当然ながらユダヤ人はその被害を受けないよう、隠れたり逃げたりする事になるのですが、第二次世界大戦が終わった後、難を逃れたユダヤ人が帰ったのは元の家ではなく「中東」でした。
その理由は、「宗教」が関係しています。
ユダヤ教の聖典で、キリスト教の元でもある「旧約聖書」にはこんなことが書かれています。
「エジプトの奴隷として迫害を受けていたユダヤ人を率いて、ユダヤ人のリーダー「モーゼ」は海を割いてエジプトを脱出した。そしてユダヤ人達は放浪の末「神の指し示した土地」であるヨルダン川の西に、自分達の国を作った。」
第二次大戦後、ユダヤの人々はその聖書の記述を今の自分達と照らし合わせました。
しかしこの 「ヨルダン川」 の西には、イギリスが統治していた「パレスチナ」という名前のアラブ人の国がすでにありました。
いつも通り普通に生活していたパレスチナに、いきなりユダヤ人が大量に押し寄せて来たわけですが、「帰れ」 と言っても帰りません。
「なぜここに来たんだ」というと、「ここが神の示した土地だからだ」などと言い出します。
そして結局、無理やりそこに住み着いてしまうわけですが、パレスチナを支配するイギリスは、「国際連合」に対処を要請します。
しかし国連の返答は、「では、半分こずつにしましょう。」 というものでした。
これにパレスチナは激怒します。
怒るのはごもっともですよね!
とはいえ、ユダヤ人側も国連の正式な決議を受けましたので、それを元に「イスラエル」の国を建国してしまいます。
⬅️国連によってパレスチナを「パレスチナ自治区」と「イスラエル」に分割した区域を色分けで示した図です。
黄色がアラブ人地区(パレスチナ自治区)で、オレンジ色がユダヤ人地区(イスラエル)です。
こうして、アラブの国々は同盟してイスラエルに攻め込むのですが、すでに後のない「背水の陣」のイスラエルは強く、アラブ連合軍は負けてしまいます。
そんなぁ。。
そしてイスラエルは「神の指し示した」ヨルダン川の西側地区を完全に支配してしまい、元々パレスチナに住んでいた人々は難民化します。
そんな中、負けてしまったアラブの国々では、政府に対する不満の声が上がり始めます。
もともとアラブの多くの国がイギリスとフランスの植民地政治を受けていたので、これへの反発もあって独立しようという動きが一気に高まります。
こうして、アラビア半島の多くの国が、次々と独立していったのですが、先に述べたように、各国の「国境」がイギリスやフランスが勝手に決めたものだったため、それぞれの国々が領土を巡って権利を主張し、険悪な状態になっていきます。
これに追い討ちをかけるように、さらなる開発によって「油田」が次々と見つかったため、その石油の利権も絡んで、領土を巡る争いが起き始めます。
宗教上での対立
中東には 「イスラム教」 が普及していますが、そのイスラム教の派閥の対立で、国同士がさらに険悪になっていきます。
イスラム教 には大きく分けて、「シーア派」と「スンニ派」の2つの派閥があります。
これはイスラム教内での権力闘争(教祖の後継者争い)で分裂してしまったものなので、宗教の教義などはほとんど変わりありません。
教祖というのは、イスラム教の創始者である預言者ムハンマドのことですね!
シーア派は「血統で選ぶべきだ」という派閥で、スンニ派は「実力で選ぶべきだ」という派閥です。
サウジアラビアはほとんどの人が「スンニ派」で、イラクは混在ですが支配者層の大半の人はスンニ派です。
一方、イランは「シーア派」で、また「原理主義」と呼ばれる「絶対宗教を遵守」というようなスタイルを取っています。
そしてこの2つの派閥は、イスラム教が分裂した時からずーっと対立しており、そのため、これがそのままアラブの国々の対立にもつながってしまいます。
さらにそこに石油の利権も関わっているものですから、状況は最悪ですね。
なぜアメリカと中東は仲が悪いのか
イラン革命
イランはもともと、親米の王朝でした。
え!そうなんですか?!
18世紀のイランはガージャール朝による君主制が敷かれていましたが、第一次世界大戦後、影響力を強めてきたロシアやイギリスによる干渉を受け王朝は弱体化していきます。
これにイラン国民は反発します。
そして1921年、軍人だったレザー・ハーンがクーデターを起こし皇帝に即位、これによりパフラヴィー朝が成立しました。
このパフラヴィー朝は、イランの近代化や西洋化を目指す「白色革命」を推進し、アメリカはこれを援助しました。
白色革命の内容としては、農地改革・国営企業の民営化・女性参政権などがあります
こうしたことでアメリカと親密な関係を築いてきましたが、急速な改革によって国民の間に貧富の差が拡大したこと、さらには旧来の伝統やイスラム教を否定するような世俗化政策をとったことなどで、強引な国王の独裁に対して国民の間に不満が高まっていきます。
それに対し国王は、改革に反対する人々を秘密警察を用いて弾圧したりしました。
その強権的な姿勢に反発する宗教勢力や保守勢力は、国王を「アメリカの傀儡」とみなし、打倒することを決断します。
傀儡(かいらい)は、操り人形とか手先という意味ですね
こうして1978年、「イラン革命」が勃発することとなります。
アメリカ大使館人質事件
「アメリカの傀儡」といわれるほどアメリカと親密な関係を構築していたパフラヴィー朝ですが、これが「イラン革命」によって倒されたことで、イランとアメリカの関係は急速に悪化することになります。
そんな中起こったのが、「アメリカ大使館人質事件」です。
革命によって国外追放されたモハンマド・レザー・シャー元国王は、エジプトに渡った後、「癌の治療」という名目でアメリカへ事実上の亡命を求めました。
アメリカのジミー・カーター大統領は、この要請を受けるとイランとの関係がさらに悪化することを危惧し、断ろうとします。
しかし、米元国務長官らの働きかけにより、元国王の入国は認められ、1979年に、家族とともにアメリカに入国しました。
これを受けてイラン国民は激怒し、案の定カーター大統領の懸念は現実のものとなったのです。
首都テヘランのアメリカ大使館の前でイスラム法学校の学生らによる反米デモが行われるようになり、ついに一部の学生が塀を乗り越えて大使館に侵入します。
アメリカの外交官や警備の海兵隊員、家族ら計52人を人質にとり、元国王の身柄をイラン政府へ引き渡すよう要求したのです。
この「アメリカ大使館人質事件」を受けて、アメリカは1980年にイランとの国交を断絶し、経済制裁を課します。
その後、人質救出作戦や仲介国による解放交渉を経て、最終的に人質が解放されたのは事件発生から実に444日後のことでした。
一年以上も占拠していたんですね。。。
事件後、アメリカとソ連は、「イラン革命」の周辺諸国への波及を恐れるようになります。
1979年にはソ連がアフガニスタンに侵攻し、1980年にはアメリカが援助するサダム・フセイン大統領が治めるイラクがイランに侵攻し、「イラン・イラク戦争」が勃発しました。
湾岸戦争
こうして「中東」は、争いやいざこざが絶えない地域になってしまったのですが、またさらに大事件が起こります。
「湾岸戦争」です。
聞いたことある!
この戦争は、イラクが中東の小国 「クウェート」 に侵攻して軍事制圧した事を受けて、1991年にアメリカが仲間と共に「制裁」をしに行った戦争ですが、この戦争は様々な要因が重なって起こった戦争だと言われています。
実はクウェートと言う国は石油の超宝庫な国です。
国の大きさはイラクの10分の1以下でありながら、そこから出る石油の量はイラクとほぼ同じくらいで世界的な石油産出国の一つです。
しかも、クウェートは場所的にも輸出に最適な場所で、大規模な輸出港もありました。
一方、イラクはほとんど海に面していません。
それでいて、クウェートは小さな国で軍事力はほぼ0。
しかも王様政治が続いていて、民衆の暮らしはあまり良いものではありませんでした。
もうイラクとしては、いわば目の前にアンパンがぶら下がっているような状態です。
イラクは長年続いていたイランとの戦争も終結し、軍事的にも自由に動ける時期でした。
一方この頃、アメリカは、失業率が高まっていてピンチな状況でした。
その大きな理由は、「軍産複合体の停滞」 です。
「軍産複合体」 とは、分かりやすく言うと「兵器作り産業」のことで、アメリカではこの産業の占める経済の割合が大きく、その規模は日本の自動車産業に匹敵します。
ソ連とアメリカの「冷戦」が終わって世界が平和ムードだったので、兵器が売れなかったんです。
そしてこの失業率の増加で不景気になり、アメリカのブッシュ大統領は、大統領選挙でピンチになっていました。
再選するためにはこの状況を何とかする必要があったわけですが、そこに「イラクのクウェート侵攻」の情報が飛び込んできます。
これはアメリカにとっては「棚からぼたもち」ですね!
戦争による軍事産業の活性化と、それによる失業率の回復、そしてアメリカの「正義」と「強さ」を見せつける事で、選挙で優勢に立つことができます。
しかも、ブッシュ大統領のメインの支援政治団体はたまたま石油産業だったので、ますます大チャンスです。
石油の輸出国を助ける事は、国としても支援団体にとっても良いことですからね。
そしてイラクのクウェート侵攻に対して、アメリカは何も言いません。
当然「行け」とも言えません。
これを受けてイラクのフセイン大統領 は、「アメリカは黙認した」と都合よく解釈し、クウェートに侵攻します。
そしてそれを見たアメリカは「何をやっているんだ!」 と多国籍軍での「クウェート解放作戦」を開始することとなります。
こうして湾岸戦争が始まりました。
イラクの降伏で一旦の幕引き
イラクは国境を要塞化して「サダム・ライン」と呼ばれる防衛線を築き、一方でアメリカはサウジアラビアに陣地を置き、各国からの部隊を集結させます。
こうして湾岸戦争は半年ほどのにらみ合いが続くことになります。
アメリカが半年もそこに駐留していたのは、アメリカが軍事産業や政治面の「パフォーマンスをしていた」とか「大統領選挙の投票日をにらんでいた」からだとも言われています。
アメリカにとってこの戦争は「政治的なもの」でしたから、それこそが重要だったと言えます。
イラクはこの問題をイスラエルとの問題(イスラエルが無理やりパレスチナを占拠した問題)と結びつけるため、イスラエルにミサイルを打ち込みます。
こうしたことを受け、 1991年1月にアメリカはイラクに対して侵攻を開始します。
空からの徹底的な攻撃と弾道ミサイルによって要塞が破壊されたことで、イラクの兵士は戦意を喪失します。
その後、地上部隊がイラクに侵攻しますが、イラクの軍備力ではアメリカに及ばず、地上戦開始数日でイラクは降伏します。
こうして「第一次湾岸戦争」は終わりを迎えますが、イラクのフセイン大統領の政権はそのまま存続します。
なぜでしょうか?
「フセイン大統領が潜伏して、単に見つからなかった」というのが一番の理由のようですが、他にも「サウジアラビアやクウェートがフセインを倒さないようアメリカに泣きついた」という理由もあるようです。
実はアメリカは当初、イラクのフセイン政権を追い出して「民主政権」を誕生させる予定だったのですが、アメリカに協力したサウジアラビアも、アメリカが助けているクウェートも、どちらも「王族政治」だったので、イラクに民主政権を作られてしまうとサウジアラビアとクウェートにとってはマズイ事になります。
アメリカとしても、これらの国との関係が悪くなると、ブッシュ大統領の政治支援団体が石油産業ということもあってかなりマズイ事になります。
あと、アメリカが今後のために「悪の帝国」を残しておきたかったというのもあると言われています。
こうして、イラクの「フセイン政権」は存続することになりました。
その後ブッシュ大統領の支持率が急上昇しますが、それを維持する事が出来ずに大統領選挙で落選し、
結局中途半端な感じで「第一次湾岸戦争」は終結します。
同時多発テロによりイラク戦争へ
湾岸戦争から10年ほど安定期が続いていましたが、2001年9月11日、ハイジャックされた航空機がアメリカの世界貿易センタービルに突っ込み、さらには国防総省ペンタゴンも攻撃を受けるという同時多発テロが発生しました。
ビルに航空機が突っ込んだ映像は衝撃的でしたよね
アメリカは、このテロを起こした「アルカイダ」というテロ組織がイラクによって支援されているとして、2003年に再びイラクへの攻撃を準備し始めます。
アメリカは、諸外国に「多国籍軍」への協力を要請し、再びアメリカ主導の多国籍軍による「イラク戦争(第二次湾岸戦争)」が勃発します。
第二次湾岸戦争は、地上侵攻戦を含む第一次戦争よりも戦闘期間の長いものになりますが、イラクの各都市は次々と制圧されていき、首都バクダッドも陥落します。
主要拠点は弾道ミサイルによって破壊され、イラク政権は完全に崩壊しました。
サダム・フセイン(元大統領)はしばらく潜伏を続けましたが、2003年12月、アメリカ軍によって発見され身柄を拘束されました。
そして現在〜第三次世界大戦
これまで中東ではそこを中心として様々な争いが起こってきましたが、ここにきてまたさらに大きな動きが出てきました。
2020年1月3日、アメリカの国防総省が「イラン、そして中東においてもっとも強力な軍人の一人を殺害した」と公表します。
標的となったのは、イランのカサム・ソレイマニ司令官です。
このソレイマニ司令官というのは、イラン革命防衛隊のエリート部隊「コッズ部隊」のトップであり、かなり強力な力を持っていた他、国民からは英雄的な扱いを受けていました。
アメリカのトランプ政府は、2019年4月、イラン革命防衛隊を「外国テロ組織」に指定していましたね
そんなソレイマニ司令官を暗殺されたイランは激昂します。
米軍基地にミサイルを打ち込んだり牽制をかけたり報復を宣言するなど、イランとアメリカの間では激しい応酬が繰り返され、第三次世界大戦を危惧する声も上がってきています。
今後の中東問題はどうなる?
ここまで、中東情勢の背景とアメリカとの関係をお話してきました。
改めて今回の記事の目的は、冒頭でも書いた通り、世界情勢とりわけ中東情勢を把握したFXトレードができるようになることです。
今回はかなり端折ってお話してきましたが、問題の隅々まで深く追求するとキリがないですし、その必要もありません。
少なくとも、今どんなことが起こっていてどんな状態なのかが分かっていれば十分です。
ざっくりとでも中東情勢の背景や経緯がわかると、今起こっている問題もなぜそうなっているのかが理解しやすいのではないかと思います。
「今はリスクオフだ」ということが分かっていれば、日本円などの安全資産の需要が高まると推測できますし、それに逆行するようなポジションを持つことを控えるという判断もできます。
急展開を見せている中東問題ですが、この後も目が離せない状態が続きます。
これまで以上にニュースには日々注目し、各国の動向を伺う必要があるでしょう。
それでは今回は以上になります^^
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